生きている管のような自分

次回公演「まつろはぬものの記 −探訪 宇治拾遺物語−」に向け、会場の下見に各種ミーティングに広報物の準備などなど、何かと慌ただしい時期になりました。
初めての会場での初めての試みなのでなにかと不安もありますが、頼もしいスタッフのみなさんに助けられ、想像していたよりずっと楽にやれている気がします。

そんな慌ただしい最中ではありますが、先日いつもお世話になっているY先生のワークショップを受講してきました。

「お腹」をテーマとしたワークショップで、ストレッチをはじめとしたお腹周りのケアや、呼吸器系・循環器系・消化器系など各器官の構造や役割について学んだり、ほかの参加者のみなさんのお話を聞いたりなど、「お腹」を軸にじっくりと身体のことを考えたり試したりする時間でした。
Y先生のワークショップは決して詰め込み型ではないのに情報量が豊富。難しいお話であっても、少しも「お勉強」感がなくリラックスしてのぞめるのが不思議です。忙しい時期なので、ゆったりと自分を振り返る時間をもてたことをとてもありがたく感じました。

あらゆる締め切りを前にすると考えることが多くなり、つい生身の生き物である自分をおろそかにしがちです。たまには自分が循環や消化をする「生きる管」であることを思い出してあげたいです。

生きる管、という言葉を書いたら『お父さんは心配症』で安井さんが作ったうどんの生けづくりのことを思い出してしまいました。

 岡田あーみん『お父さんは心配症』第5巻より

うどんは管じゃないですね。
あーみん先生、いまどうしておられるのだろう。